シーボン化粧品の店長会議

20131204

今日はシーボン化粧品の店長会議にお呼びいただき、ありがとうございます。

講演というのはとても緊張しますが、皆さんが私の話を聞いて、私にできるのだから自分にも必ずできる、と思っていただけると期待しつつ、私のプライベートについてもお話したいと思います。

現在は、りゅうじん訪問看護ステーションを経営してます。
まだ小さな会社で、6ヶ所のステーションに理学療法士、作業療法士、看護師が40名弱でやっています。私自身が営業マンで、看護師、管理者で、事務員もできると自負をしています。

経営の原点は、低姿勢で、未来を見つめる、ことだと思っています。
20代は大和ハウス工業の1,500万円の会員権を売ったり、不動産を取引したりしていました。
26歳の時、私はナポレオンヒルの成功の法則を読んで、必ずなろうと目標をたてました。
死ぬ時には、みんなに感謝され、自分自身も良かったと思えるようにしておきたいです。

もともと看護師だった私は、社会人、営業を経験して、自分がどれだけ世の中を知らない人間かを思い知りました。
宅建主任者も持っていますが、大企業で働いている課長さんや部長さんクラスは、そのぐらいのことを知っていて当たり前なんだ、前職を看護師と言えないくらい恥ずかしかったです。

不動産でも、不良債権きこうやスーパーの出店、NTTさんの売買取引をさせてもらい、地図に残る仕事をやったので一目置かれました。

ただ、契約を取れないとお金をいただけません。7年ほどその不動産をやっていましたが、7年の年収を合わせ割返すと、年間100万円もなかったのが実際でした。
不動産の経費を出すため、夜勤の看護師のアルバイトをしながら、お金はあとからついてくる、と頑張りました。

しかし、大変不効率な不動産だけでは難しいと思い、訪問看護ステーションをやることになりました。
看護学校の仲間だった、お友達に声をかけて、最初は始めました。

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ガン末期や病気の人ばかりの訪問看護。やり方の問題ですが、寝てる間もない状況で、毎日、お客様を増やしながら、呼ばれれば、朝、夕問わず走り回る。そんなことをしてました。
5年は自分の自宅がステーションで、人が毎日出入りして、休みもありませんでした。

それをやり切ったから、今があります。その時の教訓をいかし、いかに効率よく運営するか、いかに負担なく看護、リハビリをしていくか、そしてお客様の満足を最大限にだすか、全てクリアできるようになりました。

今は始めた当初の気持ちで、幸せを感じながら運営ができています。
これを乗り越えられたのは、私の幼少期や仕事を始めたことに起因します。

だいぶ恥ずかしいのですが、うちは5人兄弟で貧しかったのです。
ゆえに、小さい時から家業を手伝い、中学を卒業してからは、病院で働きながら、准看護学校へいってました。トイレ掃除と病室の掃除が主な仕事で、トイレの管理は私の仕事でした。

朝、8時半から9時過ぎまで働き、土日も外来をしていましたし、日曜日は高校のスクーリングがあったので、休みは一日もありませんでした。
学校がある日は、昼食後から夕方まで学校にいけるので楽しいのですが、ない日は12時間以上労働でした。お給料は35,000円で、10,000円は貯金してました。

しかし、迷ったときや辛い時は、そこまでは落ちようがない、私は登るだけだ、と私の一番深い部分が教えてくれたように思います。

イジメにもあったので、私以外の同級生はみんな辞めて行きました。
自分のレベルが低いから、そんな目に会うんだ!
もっと人のたくさんいるレベルの高い所を今も探し、努力しています。

アイデアマンでちょっと芸術家チックな所があるので、新しい事を始め、皆様に喜んでもらう事に生きがいを感じます。

これからはリハビリハウス 龍の卵で社会貢献、また、看護師が生き生き働ける職場をつくり、医療業界に意見できるような組織作りをしていきます。スタッフを大切に、お客様を大切にしていきたいです。

最後にお金はエネルギーです。沢山持っていればエネルギーが沢山あります。しかし、個人にかえれば沢山あってもしようがないものかもしれません。
お金を上手に集め、使い、社会貢献できればこんなに嬉しいことはないと思います。

皆さんも自分の目標を具体化させ、それをやることで自分自身が幸せになれるようにしていただきたいと思います。